葬儀社もグローバル化が進んでいるのだと感心した一方で、
あまりにも杜撰な社員教育がなされている
現状に辟易したことがあります。
特別仲良くもない親族の葬儀に参列したときのことですが、
葬儀社のスタッフが明らかに外国人だったのです。
黄色人種にはない白い肌色をしており、
周囲から美的センスが皆無などと言われている私にも
美しさが理解できるほどでした。
きっと頭もよく
私たちに最高のもてなしをしてくれるのだろうと期待したのですが、
結果は正反対のもので非常にがっかりした記憶があります。
親族の人間としての姿を見納めなければならない段階で、
葬儀社の外国人のスタッフが初めて口を開きました。
どのような日本語を話してくれるのだろうとわくわくしていた私は、
葬儀社の体質に疑問符を付けざるを得ませんでした。
具体的に何が起こったのかと言えば、
葬儀社の外国人のスタッフは
明らかに海外で広く用いられている言葉を口にしたのです。
神聖なる葬儀の場で参列者が理解できない言葉を話すなどということは
言語道断であると私は思い、
案の定周囲の人びとも怒りの声を上げ始めました。
ついには収拾がつかなくなり、
葬儀社の外国人のスタッフは状況を理解したのか日本語で謝ってきたのです。
それを皮切りに場の雰囲気が沈静化し、無事に北斎場 葬儀を最後まで営むことができました。
後日になって知った話ですが、私たちが参列した北斎場 葬儀を境に当該外国人スタッフは帰国してしまったそうです。