枕経に続いて納棺となる。

別に触れたように、

浄土真宗では「死出の旅」といつたことは認めないので、

死装束を着せたり、

棺に杖や六文銭を入れるということはしない。

 

白衣が正式な姿だが、

故人が愛用した服などでもよいという。

 

白衣の場合も左前にはしない。

死装束

納棺に僧が立ち会う場合には

「往親偶」が読まれる。

 

「往観偶」は『無量寿経』下巻にある

偶文(漢詩形式の詩句)のこと。

 

冒頭の言葉から「東方偶」とも、

五言三十行あることから「三十行偶」とも呼ばれる。

 

「往親」は「往生」の同義語であるが、

ここではさまざまな仏国土から多くの菩薩が

極楽浄土を訪れてくることを表わしている。

 

菩薩たちはみなすぐれた浄土から訪れてきたのだが、

彼らの目にも極楽はすばらしいものに映り、

讃歎するといった内容になっている。

 

この「往親偶」の中でも

「その仏の本願力、名を間きて往生せんと欲えば、みな、ことごとくかの国に到り、おのずから不退転に到らん」

(読み下しは岩波文庫の「浄土三部経』による)という部分が

もっとも重要といわれる。

 

 

念仏をすれば浄土に往生して悟りが開けることを

阿弥陀仏が約束した句とされ、

この部分だけ引用されることも多い。

阿弥陀如来

 

したがって、納棺で読まれるのも、

故人が往生したことを証するためと考えることができるが、

菩薩が讃歎するほどすばらしい浄土に故人は行ったのだから、

遺された者たちも同じように往生できることを励ましとして日々努めよという意味にもとれる

(偶文の後半は、仏法に出会うことのできたこの機会を逃さずに精進することを説いている)。

 

 

納棺の時に「納棺尊号」という書きつけを

棺の中に入れる(棺の蓋の裏に貼る)。

 

 

「納棺尊号」にはいくつかの書式があるが、

宗派で薦めているものは

「南無阿弥陀仏」だけか

「南無阿弥陀仏」の左右に

「往親偶」の中の

「其仏本願力/聞名欲往生/皆悉到彼国/自到不退転」

(先に示した「その仏の本願力」の偶)と

故人の法名(没年月日・享年)が書かれるというものである。

 

 

棺に「納棺尊号」が入れられるのは、

火葬場などの本尊がない場所で念仏などを行なった時に、

遺体を拝む形になるのを避けるためだといわれる。

 

 

「納棺尊号」を入れることで、

名号を拝むことになるというのだ。

 

 

しかし、

もとは違う意味をもった儀礼であったらしい。

 

 

真言宗などの密教宗派や密教の影響の強い宗派・地域では、

棺の中に曳覆塁茶羅

(「ひきおおいまんだら」とも読む)

というものを入れる。

 

 

これは枕字の真言

(古代インドの言葉の呪文)や

漢語の偶文を紙に書いたもので、

生前に犯したさまざまな悪を減し、

浄土に生まれる功徳があるとされる

(くわしくは第二部三の「真言宗」のところで述べる)。

 

 

曳覆塁茶羅にはさまざまな書式が伝えられているが、

「迷故三界城悟故十方空本来無東西何処有南北」

(迷えるが故に三界を城とし、悟れる故に十方を空とす。

本来東西無し、何処にか南北あらん)の

偶を書くとするものが少なくない。

 

 

浄土真宗の

「納棺尊号」にも

この偶を書く書式が伝えられており

(現在は使わない方向で統一されつつある)、

なんらかの影響が推察される。

 

 

これだけをもって即断するのは危険であるが、

「納棺尊号」は曳覆塁茶羅を浄土真宗的に

アレンジしたものだったのかもしれない。

阿弥陀仏2