通常、法要の導師(儀式を主導する役の僧)は一人なのだが、
禅宗の葬儀では最大九人の導師が登場する。
禅宗の葬儀法は大きく尊宿葬儀法と亡僧葬儀法の二種に分けられる。
尊宿とは「偉い僧」の意味で、
行と徳を積んで深い境地に達した僧のことをいう。
亡僧は修行中に亡くなり
尊宿の位にまで至らなかった憎のことで、
在家の葬法はこの亡僧葬儀法に準拠している。
実は尊宿葬儀も亡僧葬儀も在家葬儀も基本は同じだ。
ただ、尊宿-亡僧-在家といくに従って略式となり、
導師の数も減るのである。
尊宿葬儀でも九人の導師が奉仕するのは宗派のトップの時くらいで、
それぞれの身分に応じて七人や五人、
三人とされる。
亡僧・在家は原則として一人だ。
導師九人といっても、
僧が九人横に並んで儀礼を行なうというのではない。
それぞれが主導する仏事が九つ行なわれるのである。
その九つとは、遺体を棺に納める時の入篭仏事、
棺を本堂に移す時の移篭仏事、
棺の蓋を閉ざす時の鎖嘉仏事、
故人の肖像を掲げる時の掛真仏事、
肖像の前で問答を行なう対真小参、
棺を葬場(火葬場または墓所)に送り出す起篭仏事、
故人の霊に蜜湯を捧げる莫湯仏事、
茶を捧げる莫茶仏事、
火葬の火をつける乗矩仏事(土葬の場合は鍬で士をかけ始める挙鯉仏事)のことで、
七仏事なら掛真と対真小参を、
五仏事ならさらに入嘉と移翁を略し、
三仏事の時は糞湯・糞茶・乗矩(挙鎖)だけとなる。
九仏事は天皇や将軍の葬儀にふさわしい盛儀であるが、
在家葬儀はこれを思いっきりダイジェストにしたものとなっている。
よくいえばエッセンスを凝縮したものといえるが、
「まったく形式化し、それだけに、約束ごとが多くなって、本来の意味がわからなくなっている」
(圭室諦成「葬式仏教』)という批判もある。
実際には臨済宗と曹洞宗では儀礼の細部において違いがあり、
また地方ごとの独特の作法や習俗もあるが、
ここでは曹洞宗の宗定の次第に従って説明することにしたい。
なお、黄薬宗も儀礼の内容は
臨済・曹洞宗と大きく変わるところはないが、
経の読み方や作法などが明代中国風になっていて
エキゾチックな印象を与える。
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