具体的に浄土真宗の葬儀を見ていこう。
ただし、
一口に浄土真宗といっても、
浄土真宗本願寺派(西本願寺)・真宗大谷派(東本願寺)をはじめとして、
真宗高田派.真宗興正派・真宗側光寺派・真宗三門徒派・真宗出雲路派・真宗山元派・真宗誠照寺派・真宗木辺派(以上を真宗十派という)などの宗派に分かれており、
儀礼の作法や用いる仏具、供物の供え方などに微妙な違いがある。
しかし、
細かな作法を論じるのが本書の目的ではないので、
ここでは真宗の最大の宗派である本願寺派と大谷派の
標準的な次第を比較しつつ
葬儀の内容を検討してみたい。
前に述べたように、
浄土真宗では枕経(臨終勤行)を
遺体の枕元では行なわない。
遺体が安置されている部屋が仏間であるならば
仏壇の本尊に向かっておつとめを行なうが、
仏壇がない、
あるいは仏間以外の部屋に遺体が寝かされている場合は、
掛け軸になった本尊(阿弥陀仏の絵像または「南無阿弥陀仏」を記した六字名号)を掛けて、
これに向かって読経をする。
当然、香炉・燭台・花瓶などの仏具は
本尊前の卓に供える。
他宗で行なっているような、
遺体の枕元に枕飯・枕団子を供えることや、
逆さ扉風、遺体の上に刃物を置くといった
民俗信仰に基づく呪術的儀礼は行なわない。
枕経の基本的な次第は、
本願寺派は『阿弥陀経』・念仏・和讃・回向である。
大谷派は
『阿弥陀経』ではなく
『正信偶』を読む
(地域によっては『阿弥陀経」のこともある)。
では、浄土真宗の枕経には、
どんな意義があるのだろうか。
枕経を正式には臨終勤行にじゅうごさんまいということからすると、
源信の二十五三味(第一部参照)の流れを汲む
臨終儀礼が没後儀礼に移行したものと思われる。
もしそうだとすると、
枕経は死にゆく者を浄土へと見送る儀礼ということができる。
『阿弥陀経』が読まれるのは、
長々と読経をしている場合ではない
臨終直後に適した短いお経だからということもあろうが、
同経が極楽浄土のすばらしさを具体的に説いていることから、
故人が往生した浄土の様子を示しているのだと
考えることもできよう。
これに対して大谷派の次第は、
日常性を強調しているようにもとれる。
死という非常時においても、
門徒に必要なのは往生を約束してくれた
阿弥陀仏への報恩感謝であり、
それには日常の勤行のほうが最適であるというわけであろう。
あるいは、すでに故人は往生しているのだから、
いまさら特別なお経を読む必要などなく、
普段と変わりなく勤行をすべきだということだろうか。
ただし、『正信偶』も念仏も早口で唱えられる。
「正信偶」は舌々といって言葉を縮めた独特の読み方、
念仏も短念仏という詰まった唱え方をする。
これも臨終という特殊な状況に対応したものであろう。
読経後に法話を行なうのが通例だが、
「御文章」の読詞に代えることもある。
「御文章」(大谷派では「御文」という)は蓮如の書簡(集)のことだが、
個人的な私信ではなく、
門徒衆に対する文章形式の説法というべきもので、
回覧・朗読を前提として書かれている。
したがって、
こうして葬送儀礼の合間に読まれるというのも、
本来のあり方に近いといえる。
実際、
口語で書かれていてわかりやすいせいもあって、
「御文章」の拝読になると熱心に聴聞している会葬者をよく見かける。
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