出棺勤行では、
「帰三宝偶」(勧衆偶・十四行偶ともいう)が唱えられる。
これは、
中国浄土教の大成者の善導が書いた、
『観無量寿経』の注釈害「観無量寿経疏』の冒頭にあるもので、
迷いの世界から抜け出したいという強い気持ちをもち、
仏法僧の三宝に帰依して念仏に努めることを勧めるという内容の偶文である。
この偶が読まれる意義は明らかだろう。
身近な者の死を契機として仏道に目を向けよ、
というわけである。
つまり、
この偶は死者に向かって唱えられているのではなく、
会葬者全員に向かって唱えられているのである。
実は、
「帰三宝偶」は、
最後の四句が回向文として、
臨終勤行以降、
葬送儀礼を通して繰り返し唱えられている。
すなわち、
「願以此功徳平等施一切同発菩提心往生安楽国」(願わくはこの功徳をもって、
平等に一切に施し、
同じく菩提心を発して、
安楽国に性生せん)の文である。
他宗においては、
読経などによって得られた功徳を死者の成仏に振り向けるといった意味で「回向文」が読まれる(「帰三宝偶」の一部ではなく、
「法華経」の偶文が使われることが多い)。
しかし、
浄土真宗における「回向」は、
阿弥陀仏が衆生に救済の手を差し向けるという意味をもつ・では、
葬儀における回向文はどうかというと、
一見、
他宗の回向と同じように見えるが、
「帰三宝偶」全体を通して読んでみると、
人々とともに念仏信仰に逼進しようとする姿が見えてくる。
すなわち、
浄土真宗の回向文は信仰宣言文ともとれるのである。
そうすると、
葬儀の中で導師は、
葬儀の席に参会した者たちとともに念仏信仰を旨とすることを繰り返し繰り返し宣言していることになる。
「お浄土に往生させて頂き、
仏にならせて頂けることを実感や感動をもって受け止める、
とても大切な機会」(本多静芳「浄土真宗」「葬儀・法事のわかる本』)の儀礼にふさわしい偶文といえるが、
ただ、
そのことが遺族をはじめとした参列者・会葬者たちに、
あまり通じていないことが残念である。
回向文が終わると路念仏(時念仏)という独特のリズムをもった念仏が行なわれる。
蓮如の葬儀にもあったように、
葬送行列(野辺送り)の時に唱えられた念仏である。
これをはさむことによって棺が自宅から葬場に移されたことを象徴的に表わすのである。
もちろん、
実際に棺が動かされる場合にも路念仏は唱えられる。
続いて葬場勤行に入る。
他宗、
とくに禅宗などは、
ここで引導(死者を浄土あるいは悟りへ導くこと)作法が行なわれ、
一種の見せ場があるのだが、
浄土真宗では引導の必要を認めないので、
他の勤行と同様に『正信偶」・念仏・和讃が唱えられる。
本願寺派はおつとめの最初に「三奉請」が唱えられる。
これは善導の『法事讃」から採られた偶文で、
阿弥陀・釈迦・十方如来(あらゆる方角にいる仏すべての意)を法要の場に招く意味がある。
また、
「表白」といっておっとめの趣旨を仏に申し上げる儀礼も行なわれる。
続いての『正信偶』読調の途中で遺族らの焼香になるが、
作法は通夜の時と同じである。
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