曹洞宗では枕経のことを「臨終調経」という。
この名称からすると、
心安らかに死を迎えられるように
読経をするというのが本来のあり方であろう。
しかし、読調されている経などからすると、
現在の儀礼にはそうした要素は残っていないようだ。
枕経で曹洞宗は『遺教経』と「舎利礼文」を、
臨済宗は『観音経』と「大悲心陀羅に尼」を唱える。
『遺教経』は釈迦の最後の様子を述べた『浬梁経』の一種で、
釈迦が弟子たちに最後の教えを説くという内容になっている。
「舎利礼文」は釈迦の遺骨である仏舎利の徳を讃える偶文(漢詩形式の詩句)で、
各宗派で唱えられている。
『観音経』は『法華経』の中の観音菩薩の功徳を説いた章を
独立したお経として読むも
「大悲心陀羅尼」は「千手千眼観世音菩薩広大円満無磯大悲心陀羅尼」ともいい、
観音菩薩が衆生に説いた陀羅尼(仏に直接働きかける呪文)で、
これを唱えれば十五種の災難から逃れることができ、
十五種の善事が得られるという。
こうした読調経典の内容からすると、
曹洞宗の儀礼は釈迦の臨終になぞらえて、
生命の無常さと真理の永遠性を説くものであり、
臨済宗の儀礼は臨終直後に起こりやすいとされる
怪異・災厄から遺体(故人の霊)を守ろうとするものだと考えられる。
もっとも、臨済宗も通夜調経で『遺教経』を読み、
曹洞宗も「大悲心陀羅尼」を読むので、
供養の姿勢に大きな違いがあるわけではない。
曹洞宗の宗定作法集『昭和修訂曹洞宗行持軌範』の檀信徒喪儀法の「通夜調経」の項目には、
「喪儀の前晩、親族、知人と共に故人生前の事績を語り、
通夜、読経をしたあとに通夜説教をすることが望ましい」とあるだけで、
読訓すべきお経などについての記述はない。
一般的には『修証義』や『観音経」「舎利礼文」などが読まれる。
臨終調経で『修証義』を読み、
通夜で『遺教経』とするところもある。
臨済宗は『遺教経」『父母恩重経』『宗門安心章』や和讃などが読まれる。
『修証義』は曹洞宗の教義を檀信徒にわかりやすく示すために、
開祖道元の主著『正法眼蔵」の要文を抜き出して作られたもので、
明治二十三年(1890)に刊行された。
したがって、これを読調するようになったのは明治以降のこととなる。
それ以前は、『観音経』や「舎利礼文」「大悲心陀羅尼」などが読まれていたのだろう。
『父母恩重経』は中国で作られたお経で、
親の恩の深さを説いている。
通夜で『父母恩重経』が読まれる理由はよくわからないが、
故人から受けた生前の恩義を回顧し、
感謝する意味合いがあるのかもしれない。
臨済・曹洞いずれも和語のものが中心となっており、
世の無常さに直面した遺族に対して教えを説くという
性質の強いものだということがわかる。
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