喪主の挨拶例6
会葬のお礼
本日は、娘・美希の告別式にお運びいただきまして、まことにありがとうございました。
故人への思い
美希はこの世に生を受けて、わずか五年の命でした。ほんとうに不憫でなりません。
生後七カ月で体調の異変に気づき、病院に駆けつけたところ、小児がんと診断されました。現代医学で可能なあらゆる手だてを尽くしましたが、限界でした。
病に侵されながらも、美希は天使のような子でした。
私が考え込んでいると、あどけない笑顔で私の顔をじっと見つめ、「パパ、お話し遊びしようよ!」と話しかけてきたものです。
そんな様子に励まされたのは親のほうでした。
厚誼への感謝
今年から幼稚園へ通うことができるようになったのですが、もも組の皆さんには、美希と友達になってくれてほんとうにありがとう。
美希は幼稚園へ行くのがとてもうれしいようでした。
先生方にも、お母様方にもやさしくしていただきまして、心からお礼申し上げます。
今ごろは、美希ははるか天国から「ありがとう」と申していることでございましょう。
決意・結び
美希に負けずにがんばって生きていかなければ、と思っております。
ほんとうにありがとうございました。
喪主の挨拶例7
お礼
本日は、私どもの息子・悠太のために、このようにたくさんの方にお集まりいただきまして、まことにありがとうございました。
故人への思い
悠太がこのようなことになるとは信じられず、ただ、呆然としております。
最近、学校へ行くのをいやがり、学校や友達のことを聞いても黙りこくっていましたが、まさかそれがサインであろうとは。。。
全く気づきもしませんでした。
親の心情
たった一人で耐えていたのだと思うと、不倒で、いまだにいたたまれない思いでございます。
これからどうしたらよいのか、私どもも混乱しております。
なにかと、お世話になることがあろうかと思いますが、どうか、よろしくお願いいたします。
失礼いたしました。
喪主の挨拶例8
会葬のお礼
皆様、本日はお寒い中を、亡き父・竹中篤史の葬儀にお運びいただきまして、まことにありがとうございました。
また、お心のこもった弔辞を頂戴いたしまして、故人もさぞ喜んでいることでございましょう。
おカげさまで滞りなく式を終えることができました。
最期の様子
父は、一昨日、午前十時十四分、K病院にて他界しました。
享年六十二歳でした。
亡くなる直前まで意識がはっきりしておりまして、「あとは頼むよ」と言ったのが最期でした。
苦しまなかったのが、せめてもの慰めでございます。
エピソード
三年前に母を亡くした父は、定年後は畑を刺して野菜作りに精を出し、この秋からは花の栽培にも力を入れて、来年の春を楽しみにしておりました。
花を見る前に逝ってしまうとは、残念至極でございます。
厚誼のお礼・結び
在職中は、皆械にほんとうにお世話になりました。また、お見舞いをいただきありがとうございました。
これからもときには、お立ち寄りいただけましたら、父も喜ぶことと存じます。
本日はありがとうございました。
喪主の挨拶例9
お礼と自己紹介
本日は、ご多忙の中、また、突然のことにもかかわらず、亡き父・岡村浩史の葬儀にご参列いただき、まことにありがとうございました。
また、先ほどは、お心のこもった弔辞をいただきありがとうございました。
本人も喜んでいることと存じます。
私は長男の忠史でございます。
最期の様子
父は、十月十五日、午前六時三十分、肺炎のためJ病院にて亡くなりました。
七十四歳でした。
最近は俳句に興味を持ち、句作に励む一方、俳句のお仲間とお会いするのをいつも楽しみにしておりました。
献体の報告
日ごろから父は、医学の発展に関心を持っており、死後も少しでもお役に立てばと、生前、献体の登録をしておりました。
故人の遺志に従い、本日はこれから父を○○大学病院へ移送いたします。
決意と結び
ここに生前に賜りました皆様のご厚誼にお礼を申し述べますとともに、今後とも変わらぬご厚情を賜りますようお願い申し上げまして、ごあいさつとさせていただきます。
本日は、ありがとうございました。
喪主の挨拶例10
自己紹介・お礼
故人の妻、路子でございます。
本日は、お寒い中、そしてお忙しいところ、夫・小川左千雄の葬儀にご参列いただきまして、ありがとうございました。
最期の様子
主人は約一年の闘病生活の末、一昨日の明け方、旅立ちました。
二度目の手術もそれほど難しいものではないと聞いておりましたので、私は全く心の準備もないまま、主人を見送ることになってしまいました。
しばらくは、気持ちの整理がつきそうもありません。
厚誼に感謝
主人は皆様からのご支援をいただき、やりがいのある仕事に励むことができました。
あまりにあっけない幕切れだったとはいえ、存分に生き抜いたと信じております。
あらためて、隻削のご厚情に厚く御礼申しあげます。
決意
これからは、残された二人の幼い子どもを育て上げることが、私の責務であり、それが主人へのなによりの供養であると存じます。
今後ともこれまでと変わりなく、ご指導ご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。
喪主の挨拶例11
会葬のお礼
本日は、皆様お忙しい中、同・聡子の葬儀にお運びくださいましてまことにありがとうございました。
本人も感謝申し上げていることと存じます。
享年九十三歳でございました。
人柄とエピソード
母は、明治、大正、昭和、平成の四つの時代を体験し、私たち四人の子どもを育て、二十世紀をしっかり生き抜きました。
五年前に父に先立たれましたものの、いたって健康で、「私は二十一世紀まで生きるの」が母の口癖でした。
おかげさまで、どうやらその願いはかない、今年のお正月は、「とうとう二卜一世紀ね」と一言って、元気にお屠蘇で祝うことができました。
最期の様子
ところが、さすがに寒さが身にこたえたのでしょうか。二月の声を削いてからかぜをこじらせ、一昨日の三月五日、眠るように旅立ちました。
息子の私から見ても、やさしい夫や孫、曾孫に固まれた毎日で、幸せな生涯だったと思います。
お礼・結び
生前、皆様にはたいへんなご厚誼をいただきましたことを、心より御礼申し上げます。
本日はありがとうございました。
喪主の挨拶例12
お礼と自己紹介
本日はお忙しい中、父・内村明夫の葬場祭にご臨席いただきまして、ありがとうございました。
私は長男の孝夫でございます。
報告
父は一昨日午後三時五分、入院先のL病院にて心不全で亡くなりました。
七十二歳でございました。
エピソード
父は、定年退職をして以来、在職中の猛烈ぶりとはうって変わって、文字どおり悠々自適の生活を楽しんでいました。
ときには好物のそばを自分で打って私たちにふるまってくれました。
「家族が喜んで食べてくれる姿を見るのが、なによりもうれしい」と申しておりましたが、家族中が、文字どおり幸せをかみしめたわが家の行事に終止符の打たれたことが、いまだに信じられない思いです。
お礼・結び
父の生前は皆様にたいへんご厚情をいただきましたこと、故人にかわり厚くお礼申し上げます。
父も今は、祖先の御霊とともに家族を見守ってくれていることと思います。
本日はありがとうございました。
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