禅宗の葬儀の特徴は、
授戒と引導にある。

どちらも禅宗だけの専売特許というわけではないが、
禅宗の葬儀では教理と儀礼が緊密に結びついている。

まず授戒だが、
僧の葬儀法を在家の人に応用するために没後作僧(死者に対して出家の儀礼を行なうこと)を

葬送儀礼の冒頭に入れ込んだのが禅宗の「発明」であったらしいことは第一部で述べたが、
この没後作僧の中で核となるのが授戒である。

座像

死者はこの儀礼を受けることによって戒律を授かって、
正式の仏弟子(出家者)となり、
その証として戒名と血脈が与えられる。

血脈とは教えが師から弟子へ脈々と伝わることを血の流れにたとえたもので、
釈迦から各宗派の祖、
授戒の師となった僧、
そして受戒者に至るまでの法系図が書かれている。

出家者にとっては自己の身元を証明する重要なものである。

在家の者が戒名と血脈を受けるためには、
授戒会という法会に参加するという方法がある。

これが正式な受戒法なのであるが、
一週間(略式で三日)かかる行事に参加できる人はそう多くはなく、
大多数の人は死後に戒を受け、
血脈を授かることになる。

「引導」は本来、
人々を仏教の教えに導いて、
煩悩による苦しみから救うことを表わす言葉であった。

これが葬儀の中心儀礼となったのは、
唐時代の禅僧、
黄壁希運の逸話に由来するといわれている。

それは次のような話だ。

黄壁は幼くして出家し親もとを離れていたが、
修行に専念するため生家へ便りを送るということをしなかった。

このためわが子の安否を心配した母は、
諸国行脚の僧を家に泊め、
再会を果たそうとした。

黄壁には足にアザがあったので、
僧たちの足を自ら洗うことで、
黄葉を見つけようと考えたのだ。

数年後、
黄薬は生家に泊まる機会をもったが、
夕暮れであったために母はアザを見分けることができなかった。

また黄葉も、
修行の妨げになることを恐れて名乗ることをしなかった。

出立した後でそれがわが子であることを知った母は、
あわててその後を追ったが、
不運にも渡し場で溺れてしまった。

これを聞き知った黄壁は舟を戻して母を捜したが、
松明の明かりに照らし出されたのは母の遺体であった。

母の心情を不澗に思った黄緊は、
法語(悟りの境地を詩の形で詠んだもの)を唱えて一喝をした。

すると、
母の霊はたちまちに天(神の住む世界)に転生した、
といもちろん、
これは伝説であって実話ではない。

しかし、
禅宗葬儀の引導の意義をよく表わしているといえよう。

没後作僧において戒を授けて僧(在家信者)にはしたが、
それだけでは成仏するには足りない。

仏法の心髄を悟ってこそ、
「仏に成る」ことができるのである。

そこで法語を唱え、
死者を悟りへと導くのだ。

授戒と引導、
言い換えると行と教え、
この二面のコンビネーションで成仏へと導くのが禅宗の葬儀なのである。